2016年10月01日

「磐城平城(幕末の磐城平攻防戦)について」

犬連れいわき旅で磐城平城の本丸跡地を訪ねるにあたってその歴史を調べてみたところ、幕末好き(そして幕府びいき)の私は、おぉ〜!と心の内で何度も歓声をあげてしまいました。磐城平藩の初代藩主・鳥居忠政によって築城され、藩庁が置かれ、幕末の戊辰戦争で焼失した磐城平城。明治新政府軍を二度に渡って退け、三度目の攻防で遂に包囲されるも、城の門は最後まで破られることなく、守備隊は城内に火を放って城から脱出した。そのエピソードが、今の磐城平城本丸跡地に残していったとても素敵な事柄について、書いてみたいと思います。

磐城平城 本丸跡地案内図
磐城平城 本丸跡地案内図

<新政府軍を二度退却させた磐城平城守備隊>
磐城平城に関して全く知らなかった私は、まずは基礎知識をと思ってウィキペディアの『磐城の戦い』のページを読んでみました。「第一次磐城平攻防戦」。稲荷台(現在の子鋤倉神社(福島県いわき市平字揚土30)の辺り?)に砲弾をしいた米沢藩・仙台藩・中村藩兵は新政府軍の前進を食い止め、新政府軍は湯長谷に一時退却。「第二次磐城平攻防戦」。散開して城に近づく新政府軍を、戦意高揚していた藩兵と六斤砲が迎え撃ち、新政府軍は湯長谷に撤退。すごい。幕府側が新政府側を二回も押し返したんだと、私はびっくりしました。新選組と白虎隊好きの私は、鳥羽・伏見の戦い以降、会津戦争まで幕府側は負け続けというイメージがあったので、幕府側が少しでもやり返した局面があったのだとちょっと嬉しい気分に。磐城平城の周囲では、平潟から上陸されたり湯長谷を占拠されたりと、幕府側はじわじわ追い詰められていたのですが、磐城平城に対する直接攻撃は二度防いだ。ここで新政府軍には援軍が来ます。しかし、磐城平城に駆けつける援軍はほとんどなく、やがて城は包囲され、藩主に代わって城主になっていた安藤信正公は、家臣団に説得されて城を脱出します。

岩城(磐城)平城内外一覧圖(図)
岩城(磐城)平城内外一覧圖(図)

<包囲戦、3000対200の戦い>
信正公の脱出後、城に残ったのは200名ほどの兵と、磐城平藩の家老・上坂助太夫、中村藩の相馬胤眞(将監)でした。中村藩といえば、相馬野馬追いの地です。磐城平城の地元の軍勢に同じ浜通りから助太刀が来た構図です。対する新政府軍は、3000名の兵力と激しい砲撃で城を攻め、ついに山砲の一弾が内門に命中。新政府軍は城内に突入しようとしたが兵の連携を誤り、守備隊はその隙に内門を封鎖して城内に攻め込まれるのを防いだ。新政府軍の攻撃は夜になっても止むことはなく、守備隊の砲弾は尽きかけ、城外からの補給は絶望的だった。上坂と胤眞が各隊長を本丸に召集して残弾を確認したところ、弾は一人当たり十発に満たなかったといいます(相馬将監家中村藩御一家より)。上坂助太夫は城を枕に戦死する覚悟を定め、後は磐城平藩のみで守るので退去するよう相馬胤眞に促した(ウィキペディアより)。……涙。上坂の役目は、仙台に向けて脱出した信正公のために時間を稼ぐことだったと思われます。信正公の命を守るため、一分一秒でも長く時間を稼ぐために、一人でも多くの兵力が欲しかったはずです。それなのに、必要な兵力を手放そうとしたのは、共に戦ってくれた中村藩の兵たちをここで死なせたくないという思いがあったからではないかと思います。

磐城平城 本丸跡地よりいわき駅を臨む
磐城平城 本丸跡地よりいわき駅を臨む

<仲間を思う気持ちがあったのでは…>
そんな上坂に胤眞は言いました。「この一敗をもって全ての敗北としてはならない(ウィキペディアより)」上坂は胤眞に説得され、城を脱出する方針に改めました。一度死を決意した武士が考えを翻すのは大変だったと思います。自分が守り続けてきた城を捨てて逃げるという行為は、死ぬよりも辛いことだったでしょう。でも、生きのびれば先に発った信正公に追いつき、戦い続けることができる。そのためなら、屈辱に耐えよう。そんな葛藤があったと思います。胤眞には、自分たちだけで城から逃げるよりも、上坂らと一緒に逃げる方が兵力が増えて得だという思惑があったかもしれませんが、共に戦った仲間に死んでほしくないという気持ちが絶対にあったはずです。互いに仲間を思う強い気持ちが、この脱出劇を成立させたのだと私は思っています。

<勝てなかったけれど、負けなかった>
もしも城の内門が被弾した時に新政府軍の侵入を許していたら。戦意が高かったという守備隊のことですから、城を枕に討ち死にするまで戦い続けたことでしょう。そして上坂は最後に、磐城平城の天守にあたる三階櫓に火を放ち、その中で自害していたかもしれません。胤眞は脱出したかもしれませんが、門を破られ、戦友を死なせての退却は、兵たちの戦意を致命的に奪ったでしょう。同じ城の焼失でも、これでは全然違います。門を破られ、敵に攻めたてられて火を放ったのではない。門は最後まで破られなかった。勝てなかった戦いだけれど、浜の男たちは最後まで負けなかった。

<本丸跡地に残された清々しさ>
磐城平城は「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われた三階櫓と、八棟櫓がともに焼失し、現在残っているのは石垣と内濠の跡だけ(門の一部が残っているという情報もあり)です。本丸の跡地はイベント開催時などに開放されていて、JR常磐線いわき駅から徒歩5分ほどのところに入場ゲートがあります(普段は閉まっています)。あの時、もしも城の門が破られていたら。入場ゲートから山頂の本丸跡地に向かう道すがら、破られた門から新政府軍が城内になだれこみ、次々と打ち倒されていく守備隊……、家老の上坂はついに自害……、なんて思いながら頂上に着いたら、気持ちはすっかり落ち込んでしまうことでしょう。今、本丸跡地へ向かう道のりで感じるのは、小さな山肌に設けられた道の木陰の爽やかさ、途中で見られる湧き水の清涼さ、櫓の跡から望むいわきの街並みの大らかさ、です。戦いの後に建てられた旧仮藩庁に入ると磐城平城の復元模型があり、模型の横のスイッチを押すと電球が光って櫓などの位置が示され、おぉ〜ここが三階櫓か、八棟櫓はどれかな?なんて、私は思わずピコピコやってしまうのですが、そんな風に無邪気になれるのは、この城跡に自害の血の匂いがしないからです。そのことこそが、あの戦いにおいて成された「退去」という決断がもたらすものであり、敗北の歴史ではあるけれど、誇りにしていい逸話だと私は思います。

磐城平城 白蛇堀
磐城平城本丸跡地内 白蛇堀

磐城平城 復元模型
磐城平城 復元模型

<相馬胤真、その後>
「この一敗をもって全ての敗北としてはならない」。この台詞、しびれました。武士って、敗北するなら討ち死にするのが美学というのがあると思うんですが、そういうことに囚われず、勝つことを最後まで諦めない本当の誇り高さを感じました。こういう人、惚れてしまいますね。胤真のその後の足跡を調べてみると、磐城平城を退去した後、四倉で中村藩の仲間と合流し、新政府軍を追い散らしながら久之浜まで進んだそうです。この方、本当に強い武将だったんですね。鬼将監という異名があるそうです。その後胤真は、仙台藩、米沢藩の兵と合流し、広野町に布陣する新政府軍を討つため進軍しましたが、広野駅近くの松林から敵の一隊の銃撃を受け、重傷を負って亡くなったそうです。敵に斬られて死んだのではなく、銃弾に撃たれて亡くなったというところが新選組の土方歳三と一緒で、何とも切なく、愛おしさが溢れてきます。

<上坂助太夫、その後>
磐城平城を退去した上坂は、藩兵を引きつれ、仙台へ向かった信正公の後を追い、川内村の長福寺で無事合流することができたそうです。川内村には旧幕府軍・奥羽越列藩同盟の兵が集結し、武器弾薬が運び込まれましたが、信正公は、仙台藩が降伏する情勢を冷静に分析して、この地で決戦を行うことは無意味と判断し、家臣のみを連れて川内村を後にしたため、川内村は戦場にならずに済んだそうです。この信正公の英断や、磐城平城からの退去という決断によって、犠牲にならずに済んだ命があり、その命につながる人々の中には、今の福島の浜通りに住まうひとがいるだろうと思うと、とても感慨深いものがあります。上坂助太夫の子孫で議員として活躍された方がいらっしゃるという情報を見つけました。幕末の混乱の中で懸命に戦い、生きた人々の思いは、今のいわきにつながっているに違いありません。

参考HP
磐城平城本丸跡地公式サイト
磐城の戦い(ウィキペディア)
相馬将監家 中村藩御一家
井出正人著『満天星』より その5 −山村川内の幕末史 長福寺の隠し部屋− | ひとの駅かわうち日記
安藤家家臣子孫 上坂昇さん|日々の新聞 第68号 江戸時代のいわき

    *    *    *    *

思いのままに長文を書き連ねてみましたが、幕末好きの人がこの文章を読んで、へぇ〜、磐城平城、見に行ってみようかな〜、という気持ちに少しでもつながったら嬉しいです。大好きないわきのひとたちに、この文章を捧げます。 鈴っぴ 拝


黒パグナイトの福島 いわき市 磐城平城復元「一夜城プロジェクト」いわき駅前にお城が復活!?

映画動画紹介
黒パグナイトが福島県いわき市いわき駅前の磐城平城本丸跡地で2016年10月1日に行われた磐城平城復元「一夜城プロジェクト」をワンワンレポート♪ 本丸跡地の外周を散策し(1分12秒〜)、夜は磐城平城の天守にあたる三階櫓が一夜城として復活するイベント(3分28秒〜)を見ました。灯された松明と勇猛な鬨(とき)の声がカッコイイ〜!磐城平城復元を目指す清水敏男いわき市長のステージ挨拶(5分47秒〜)もご紹介☆彡(8分作品)

犬(笑)犬連れお出かけ情報はこちらをご覧下さい。
「黒パグナイトの福島 いわき市 磐城平城復元「一夜城プロジェクト」いわき駅前にお城が復活!?」

ニックネーム 鈴っぴ&スージー広野 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

「黒パグナイトの埼玉 秩父 卒業の旅路〜秩父ミューズパーク・旅立ちの丘〜ちまきカフェ天空の楽校(旧立沢分校)」


映画動画紹介
黒パグナイトが埼玉県の秩父ミューズパーク・旅立ちの丘と、皆野町のちまきカフェ天空の楽校(旧立沢分校)をわんわんレポート♪ 卒業ソングの定番「旅立ちの日に」が生まれた秩父の町を一望するモニュメントから、標高550m天空の里の廃校を利用したカフェへ。卒業の旅路のしめくくりは、スパ・ドッグズラン秩父のワンコの温泉です☆彡(ハイビジョン4分作品)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ロケ地:埼玉県秩父市、秩父郡皆野町
撮影日:2016年3月
参考URL
秩父ミューズパーク
天空の楽校
スパ・ドッグズラン秩父|本格ドッグランと梵の湯源泉の犬用温泉

駐車場 駐車場メモ
各施設に付属の駐車場がありました。秩父ミューズパークは「旅立ちの丘」最寄りのP13を、キャンプ場スプラッシュガーデン秩父関連施設のスパ・ドッグズラン秩父は、ドッグランに近い梵の湯前の駐車場を利用しました。

あせあせ(飛び散る汗)混雑度メモ
午前中に行った秩父ミューズパークは、時間が早かったせいか空いていました。ワンちゃんのお散歩をしていた方にお会いしました♪天空の楽校さんを訪ねたのは午後遅めの時間で、広いテラス席には私たちのほかに一組、後から二組が来られて、うちを含めた全四組のうち三組がワンちゃん連れでした♪スパ・ドッグズラン秩父さんへは夕方に行きまして、ほどよい賑わいでした。

犬 犬の同伴条件メモ
秩父ミューズパークでは、犬の連れ込みを制限する表示は特に見ませんでした。天空の楽校さんは食べログと口コミでペット可との情報を見て訪ねまして、ドッグカフェのような犬連れ客専門のお店ではないのに、店主さまがとてもあたたかく迎えて下さってとても有難かったです。しっかりマナーを守って利用したいですね。スパ・ドッグズラン秩父さんは公式サイトに利用規約が掲載されていますので、そちらをご確認ください。

レストラン 犬連れ飲食メモ
天空の楽校さんで名物天空のちまきと葛湯をいただきました。具が沢山入っていて美味しいちまきでした。地域の方が手作りされているお品だそうです。お土産用に買うこともできて、後からきたワンちゃん連れのお客さんがものすごい沢山買っているのを目撃しました。スパ・ドッグズラン秩父さんは、梵の湯の駐車場の入口のところにある梵天茶屋のテラス席がワンコOKだと後から知りました。秩父の名物グルメになっている「わらじかつ」の丼が自慢だそうで、次回は寄ってみたいと思います!

目 オススメ情報
いずれの場所もワンコ連れお出かけスポットとしてお勧めしたい所ですが、中でも特にオススメなのが天空の楽校さんです。愛犬と過ごす時間の中で最も素晴らしい時間は、特に何もせず一緒にいることをのんびりと楽しむ時間だと私は思うのですが、天空の楽校さんは、その極上の時間をくれる場所だと今回行ってみて思いました。食事やお茶を楽しんだ後にゆっくりと寛ぎながら眺める標高550mの山里の風景は、大自然の山の頂から見る風景と違って、圧倒されるものではありません。言い換えれば、突き放されることなく受け止めてもらえる風景であり、心象的なふるさとの風景と言っていいかもしれません。

天空の楽校は、廃校になった小学校の校舎を利用してオープンしたカフェだと公式サイトで見ました。ムービーで紹介していますが、校舎の入口のところに「皆野町立立沢分校」の名前が残っています。店主さまから分校のお話を聞かせていただきました。この地域の小学校は山のもっと下の方にあり、小学校低学年のお子さんが歩いて通うにはかなり遠かったので、お子さんたちは中学年までこの分校に通い、高学年からは山の下の小学校に通っていたそうです。やがて地域のお子さんの数が減少して昭和54年に分校は閉鎖となり、その後山の下の小学校も閉鎖されてしまったそうです。今地域にいらっしゃる方の多くは年金で暮らしている方で、農業が少し営まれているそうです。分校に通っていた人たちの多くはこの地域を離れて暮らしているそうですが、店主さま曰く、離れたくて離れたわけじゃないと思うんですよ、と。この場所で生まれ育ち、今は離れた都会で暮らしているひとたちの中には、夏休みや冬休みに里帰りしているひとたちがいるだろう、と想像してみて、この場所のかけがえのなさを思いました。その場所の片隅に、愛犬と一緒に過ごせる場所をいただいて眺める小さな山里の風景は、大切なふるさとやわが家という場所について、様々なことを教えてくれるものでした。

exclamation注意
スパ・ドッグズラン秩父さんの犬用温泉は屋内にあるのですが、ドライヤーコーナーで黒パグナイトを乾かしていたら、ナイトは少々湯冷めしてしまったようでちょっとプルプルしていました。春先だったのでそれほど寒くはなかったんですが、寒がりなワンちゃんの場合は気をつけてあげるといいなと思いました。

ペン鈴っぴの制作後記
今年の春の連休はのどかな雰囲気の秩父に行ってみようと旅のプランを練り始めた時、秩父ミューズパークに、卒業の定番ソング「旅立ちの日に」の誕生にちなんだ「旅立ちの丘」という場所があることを知って、今回の犬連れ旅のテーマは「卒業」にしよう!と決めました。それから天空の楽校さんの存在を知り、以前から一度行ってみたいと思っていた温泉付きのドッグランのスパ・ドッグズラン秩父さんが近くにあることが分かって、その三つの場所をつないだ今回の旅となりました。今年9歳を迎えたシニア犬の黒パグナイトとアラフォーの私が辿った卒業の旅路、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

ところで、「旅立ちの日に」が誕生したのは平成三年なんですが、その頃に私は既に大人になっていたので、残念ながらリアルタイムでの馴染みがないんですよね。私と同年代の人は、お子さんの卒業式を通じて親しんでらっしゃると思います。私が思い浮かぶ卒業ソングというと、古くはユーミンの「卒業写真」、リアルタイムでは斉藤由貴・菊池桃子の「卒業」なんですが、もう1曲、アイドルソングとして当時そこそこヒットした歌があります。撮影担当のスージー広野がカバー曲を作ってくれて、ムービーのエンディングテーマに使われていますので聞いてみてくださいね。この曲知っている人、いたら嬉しいな(^^)

★このブログはリンクフリーです。リンクして頂いた際はご一報頂けますと、シッポふりふり喜んじゃいます!★
★お問い合わせやご連絡はこちらまで★
★ワンコとお出かけをする際は、事前に訪問先のワンコ受け入れ状況をご確認ください★
ニックネーム 鈴っぴ&スージー広野 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 埼玉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

埼玉編 一覧リスト

黒パグナイトのドッグムービー
【埼玉 一覧リスト】


<所沢市>
「黒パグナイトの西武園ゆうえんちの花火」
「黒パグナイトの所沢市 狭山湖堤防の桜」

<秩父エリア>
「黒パグナイトの秩父 卒業の旅路〜秩父ミューズパーク・旅立ちの丘〜ちまきカフェ天空の楽校(旧立沢分校)」」
「黒パグナイトの秩父市 三峯神社と山麓亭」


<滑川町>
「黒パグナイトの武蔵丘陵森林公園・紅葉見ナイト2012」」

<幸手市>
「黒パグナイトの幸手市 幸手あじさい祭り2009」
「黒パグナイトの幸手市 ドッグカフェ Dog Runs Well」
「黒パグナイトの幸手市 ドッグパーク幸手」

★このブログはリンクフリーです。リンクして頂いた際はご一報頂けますと、シッポふりふり喜んじゃいます!★
★お問い合わせやご連絡はこちらまで★
★ワンコとお出かけをする際は、事前に訪問先のワンコ受け入れ状況をご確認ください★
ニックネーム 鈴っぴ&スージー広野 at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 埼玉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする